創立32周年を迎えて

お陰様でオリンポス32周年、多忙にかまけ創立記念日をひと月以上経過してしまいました。33年目の夏もまた暑い夏です。昨年の4月は熊本の大地震が発生し、未だ傷跡も癒えないまま、今度は九州北部の「記録に無い」大雨災害です。異常気象と言う言葉も既に空疎な響きさえあり、昨今は「この現状」こそがこれからの日本の気候だと覚悟するほか無いようです。

ここで改めて被災された皆様にお見舞い申し上げます。

弊社にとって昨季の大きな出来事は、新メンバーを2名迎えた事です。上野藤太は横浜国大生時代からオリンポスのプロジェクトの重要な任務を担ってきた男です。東大大学院でCFDの研究を経てフルタイム参戦です。そして日本人唯一のソーラープレーンパイロット、横山慎二です。既に彼、17歳の時、それまで塩漬けだった廃物滑空機をソーラープレーンSP-1にまで仕上げた中心人物です。しばらく佐渡で「宮大工」業に勤しんでいましたが、心機一転オリンポスに合流。これで一気に社内の平均年齢が下がりました。気心の知れた優秀なメンバーが揃い、心強い限りです。

Y and T

多くの皆様にご支援頂いているソーラーフライトチャレンジは、未だ途上です。昨年11月に佐渡空港にて低空直線飛行を成功させ、日中の直線であれば継続的に飛行可能であることを実証できました。このチャレンジは飛行場の周囲を一周する「場周飛行」を区切りの目標として掲げてきましたが、佐渡では飛行場の幅が足りません。今は場所を北海道に移して挑戦を続行中です。次回の挑戦で決着を付けようと皆意気込んでおります。
2016 TF@Sado

さて先日来、日本の航空機開発の置かれた現状を象徴するような出来事がありました。英国人Colin Halesさんが自作の飛行機KR-2で世界一周の途中、ロシア経由で新潟空港に降りたのです。降りたのは良いのですが、離陸の許可が得られず7か月も日本を動けずにいると。知人づてに彼の窮地を知り、オリンポスで申請の手助けをする事にしました。新作機での二地点間飛行申請を経験する良い機会です。『赤とんぼ』の申請作業の先行事例として補強になるはずとの目算もありました。

何とか国内の飛行許可を得る事ができ離陸しましたが、大変残念な事に最初の目的地、岡南飛行場手前のゴルフ場に不時着してしまいました。多くの皆様にご心配をお掛けしましたが、幸いColinは無事で、間もなく退院するとの知らせを受けています。事故の原因はまだ調査中ですが、どうも燃料のリークがあったような気配です。
KR-2

整備不良は結局パイロットの責任ですが、実際の所“そうならざるを得ない”制度上の問題がいくつもありました。機体を整備するために必要な行為を著しく制限されていました。もちろん行政に悪意は無く、全て「安全のため」ですが、結果的には安全とは逆の結果に導かれてしまうといった残念な状況です。これはひとえに新型機を審査する機会をあまりに長きに渡って失った事の結果でしょう。自らが経験の無い事を審査するのは無理な話です。

HONDA JETは初めから日本での申請は視野に無く、MRJも遂に米国に完全に審査の拠点を移動しました。巷では世界市場を睨んで、米国で審査すると言いますが、元々日米間には型式証明(安全に飛べて、しかも同一の型なら個別の審査なしに製造して良いという証明)の相互認証協定があるのですから、日本で審査可能なら米国に完全に審査を委ねる必然は無いはずです。MRJも計画当初は官民挙げて「オールジャパン態勢」で、と意気込んでいました。蓋を開けてみたら全く歯が立たなかったというのが実情でしょう。遥かに小規模なColinのKR-2ですら、「機体そのものが安全であるかどうか」を審査する事は日本の現状ではMRJ同様不可能です。

この現状は、ともかく作って実際に審査することでしか改善できないと感じます。YS-11で正に官民一体で築いた経験と実績は既に無いと覚悟し、また小型機から仕切り直すのが結局早道と思います。小型機を開発し審査して製造する事ができずして、売れる新鋭旅客機を作れるはずもありません。我々オリンポスは、今後も愚直に小型機を開発し、飛行機を作る文化を取り戻す努力を続けて参ります。

さて最後に昨季は私自身が何度か体調を崩し、入院加療するに至り多くの皆様にご心配とご迷惑をお掛けしてしまいました。まずはそれに付きましてお詫びとお礼を申し上げます。還暦まですら数年を残してこの体たらくは、正に自らの不徳と致すところです。今後はより自重しつつ、皆さまのご期待と信頼に応えるべく頑張って参ります。どうか引き続きご期待とご支援をよろしくお願い申し上げます。

2016 TF@Sado

2017/07/18
有限会社オリンポス
代表取締役 四戸 哲